こんにちわ、ハマケンです。
161年前の今日。つまり1853年7月8日に浦賀に黒船が来たってご存知ですか?
本当にたまたまなんですが、ふと黒船が気になってwiki見てたら何と偶然にも今日と同じ日!
という事だったので、こりゃ書きたいなと。
と思って読み進めていくとなんと黒船って実写真が残っているらしいじゃないですか!
って言うかあるのかよ!的なノリでびっくりです。
子供の頃の教科書はペリーさんしか載ってなかったし、てっきり口伝とか文章後は当時の瓦版レベルしか残ってないんだろうなーと思ってた訳ですよ。
当時の日本人がびっくりして、「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」と言わすレベルってどんなんだろうなと想像を膨らましていた訳ですが、まさかの実写。
教科書に載せててよ!(今載ってるのかな?)
あ、ちなみに私のペリー来航を覚える語呂は「一杯ゴミ(1853)積んで黒船でやってきたペリーさん」です(笑)。
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写真が残っている黒船達。
1853年に来航した黒船についてはwikiさんから引用させていただきます。
浦賀沖に投錨した艦隊は旗艦「サスケハナ」(蒸気外輪フリゲート)、「ミシシッピ」(同)、「サラトガ」(帆走スループ)、「プリマス」(USS Plymouth 同)の4隻からなっていた。大砲は計73門あり、急な日本側からの襲撃を恐れ臨戦態勢をとりながら、上陸に備えて勝手に江戸湾の測量などを行い始めた。さらに、アメリカ独立記念日の祝砲や、号令や合図を目的として、湾内で数十発の空砲を発射した。この件は事前に日本側に通告があったため、町民にその旨のお触れも出てはいたのだが[16]、最初の砲撃によって江戸は大混乱となったが、やがて空砲だとわかると、町民は砲撃音が響くたびに、花火の感覚で喜んだと伝えられる。
とありまして、このサスケハナ、ミシシッピ、サラトガについて写真が残っています。
これらの辿ってきた歴史を見たりしていると、侍が居て蒸気力とは全く関係が無い日本の時代と如何に世界がずれていたかを目の当たりにします。
もう動きがですね、半端無い訳ですよ。この時代で。
インド洋行って、地中海行ったり、大西洋行ったり。
日本が特別遅れていた訳では無いとは思うんですけど、それにしても当時のアメリカやイギリス、とんでもないねと思ったりして。
そりゃ「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」と狂歌も流行ったりするわいなと。
たった161年でここまで来た日本もまた世界からみりゃトンデモネェ国だなと思われたりしてるんじゃないかと想像したりするとニヤニヤが止まらないわけですよ。
それでは。